しばらくお休みしました。
日曜日, 3月 30th, 2008
神田川沿いの桜です。
夜の会議などが多く、しばらくお休みでしたが,近々再開します。
神田川沿いの桜です。
夜の会議などが多く、しばらくお休みでしたが,近々再開します。
10時から、定例議会が終えての報告を兼て、区内一巡の街頭宣伝でした。区議団(午前中は小林,萬立、いたくら)と中島つかね衆院候補とで根津・オリンピック前・江戸川橋で訴えました。話の中心は、子育て・道路特定財源(ガソリンの暫定税率)・「石原銀行」問題でした。中島候補が、「ガソリン税がなくなっても、国民はちっとも混乱しません。混乱しているのは与党自民党・公明党です。また、「石原銀行」にあらたに注ぎ込む400億円があれば、多摩も含めた全都で妊婦健診を14回まで無料にすることができ、都営住宅を新たに1000戸つくってもおつりがくる」と話しましたが、明らかに無駄になるとわかっているものへの税金投入はやめさせ、都民のくらし応援のために使わせようではありませんか。江戸川橋交差点近くでは、お昼休みが近いこともあって、人通りがたくさんあり、道行く人達が結構話を聞いてくれていましたし、通り過ぎる車の中から手を振ってくれるドライバーもたくさんいました。
今日は小学校の卒業式です。その前に庁舎内の日刊紙配達があり、区役所に行きましたが、写真のように9時頃の議員の出退ボードに灯りがついているのは私だけでした。小日向台町小学校の卒業式に出席し、議長のお祝いの言葉を代読しました。卒業証書を一人ひとりが受け取ることがメインですが、式の最後に卒業生と在校生(5年生)が思い出の一節をリレー形式でやりながら歌を歌うことが出席者の一番印象に残ることです。ご近所でいつも見かけていた女の子の成長振りに驚きました。とっても頼もしいお姉さんになっているのです。この子どもたちの思いがまっすぐ届く世の中にしたいものです。また、五中の話になってしまいますが、以前書き込んだ3月6日の卒業生を送る会の話をある卒業生のお母さんから聞きました。子どもたちから卒業したら、自分たちの帰れる母校がなくなることが本当に悔しいと口々に出され、親たちも同様の思いとなって親子ともども滂沱の涙だった。いま話をしていても思い出して涙が出ますと話してくださいました。この話を聞いて区教育委員会は、どう思うのか、そしてこれを決めた当時の関係部課長はすべてその席からいなくなった無責任さをあらためて怒りを込めて糾弾したい思いです。
2月19日から始まった区議会が今日で終わりました。とても長く感じた議会でした。4年前まで経験した議会は、区長与党側の質問時間はあまり多くなく、私たちの発言時間がたくさんあって、次々と質問できたのですが、今期は新人がたくさんということもあり、また、委員長采配が平等にということもあったので、質問の待ち時間が多かったのです。議会が活発になることはいいことです。でも、保育料値上げやふるさと歴史館をシビックの中に移そうとか小学校にも選択性を導入しようと提案する民主党の要求にはことごとくこちらも反論し、予算委員会の報告の中に入れ込まないようにさせました。文京区は、今年度末には基金(区の貯金)が400億円にも達し、現区長の任期中の区政運営は安泰というところですが、風呂付寿会館の廃止などで区民犠牲を押し付けてきた結果の貯めこみですから、区民のために使わせるような世論作りが必要です。長年の要求が実現したものもたくさんあります。金富 小の空調機の更新、水道保育園の3歳と4歳の部屋にクーラー設置、水道児童館・育成室へ上がるぼろぼろの階段の改修、青柳保育園の外階段改修、こひなた保育園にクーラー設置などなど。詳細は、これから発行するいたくらレポートをご覧下さい。(写真は浜離宮の菜の花畑です)
文京新婦人コーラス・あしたばの40周年記念コンサートを鑑賞してきました。「年を重ねるにつれ、身体も声も衰えてきますが」とおっしゃっていましたが、とんでもございません。若々しさは失われていませんでしたよ。これからも五〇年,○○年とご活躍下さい。それに先立ち、大江戸線に乗って、築地市場前で降り、朝日新聞社の大きなビルに驚き、続いては初めて見る築地市場の脇をとおり、浜離宮へと向かったのですが、またまた巨大なガラスのビルが目の前に現れました。たぶん電通の建物だと思いましたが、まったく異次元の世界に入ったような気分でした。初めて入った浜離宮は、一面の菜の花畑がきれいでしたが、広いというだけでまた行ってみたいとは感じさせない庭園という印象でした。石原都知事が、オリンピックを東京でやるとき、浜離宮をトライアスロンの会場にしたいと言っていたが、きれいじゃない水ばっかりで、いったいどの場所を言っているのかと思って見渡しましたがふさわしい所は見当たりませんでしたが、、、。